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らくちん道への道

悟りの4つのステージ

悟りの4つのステージ

藤本晃 / サンガ

パーリ語聖典に基づく「悟り」の真実
「悟り」はアップデートしない!

仏教は精密に語られた心の科学です。生きるとは苦で虚しいものであり、仏教徒は解脱を生きる目的にしています。解脱に達するために悟りを開かなくてはいけないのです。解脱も悟りも永遠の天国のような神話的概念ではありません。この本は解脱と悟りについて、ブッダの言葉に忠実に、現代人にも分かりやすく明確に書かれた類まれな作品だと思います。
スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ長老 推薦!


著者は浄土真宗の住職だが、スリランカの上座仏教のスマナサーラ長老との共著が多いように原始仏典など「釈尊による本来の仏教」に立ち返ることをスローガンにしている。

最近のお手軽な(?)悟りブームに対して、「本物の仏教の悟りとはこれだ!」とかなりの意気込みを感じる。

気になったところは、最近の悟りについてよく言われている「悟りを得ても人格者になるわけではない」という説には明確に否定している。
本当は「悟ったら悪行ができなくなる」そうだが、善か悪の基準は?対人間としての意味なのだろうか?

今流行の「私はいない」というのも、悟りの最初の階梯に過ぎないようだ。

まあ、我々一般人にとっては、本当の悟りを得ることよりも日常の生活の苦が減れば取りあえずOKなので、正当な仏教の悟りの階梯を学びたいのならスリランカまで行って出家するのもありかもしれない。

まず、この本を読むには「パーリ語(経典)=マガタ語=ブッダの言葉」の説が正しいというのが前提で、

日本仏教は仏教なのか?

藤本晃 / サンガ

同じ著者のこの本を先に読んでおくと内容が理解しやすいかもしれない。

とはいっても、人間だったお釈迦さんが直接弟子に伝えた教えと弟子が文字に残した教えの意味が本当に同じだったかの検証ができない状況で、正当性を唱えることにどれほどの意味を持つのか?はよくわからない。

また、この本では輪廻について詳しく語られているが、無記という形でお釈迦さんがあえて回答・言及を避けたこととの矛盾とかはどうなんだろう?

実家が禅宗の檀家とはいえ何処の組織に属していない私からすると、正当論争みたいなものにはあまり関心が持てないのが本音。

また、帯やAmazonの紹介に「アップデート」「3.0」とか「ゼロポイント」の言葉が出てくるが、

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

魚川 祐司 / 新潮社


アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

藤田 一照 / 幻冬舎


の2冊の本に対する批判があるようだ。

私はどちらの本も読んでみて、現在の日本の仏教を良くしたいという思いを感じたが、後者の本は現在の日本の仏教のレベルの低さがまざまざと見え少し幻滅した。


整体・薬院らくちん堂



by rakuchin-dou | 2015-11-01 23:04 | 最近読んだ本 | Comments(2)
Commented by 悟りのイントロを経験した人 at 2015-11-05 10:09 x
>本当は「悟ったら悪行ができなくなる」そうだが、善か悪の基準は?対人間としての意味なのだろうか?

本当の私が分かると、私は肉体ではなく、命であり、永遠であり、死なず・死ねず・損なわれえず、よって自由であり、あぁこれが伝統的に神と言われている「I AM」であり、神は愛であるということはこれが愛なのか、愛は自由なんだなetc,

が一斉に分かりだします。(すると、ほとんどの宗教はオカシナ事を言っていると分かります。宗教や研究家のお偉いさんがオカシナ事を言ってたらすぐに分かります。)

すると、悪行は「それが選択肢としてあり得ることは分かっているが、それを選択することはしない。そんなことをする気が起きない」という状態になります。

善と悪の基準は、「私」=「愛」に整合するもの・ことが善です。

というのが私の分かったことなんですけど、紹介された本を読んだラクチン道さんはどのようにお考えになられますか?
Commented by rakuchin-dou at 2015-11-05 21:29
悟りのイントロを経験した人 様

コメントありがとうございます。

成程・・・実は過去に同じような経験はあります。
しかし、本当の私が分かったり「I AM」も、私という幻想がつくり出した物語かもしれないのが、この世界の面白いところであります。

永遠の自分(アートマン)と仏教で真理とされる無我や諸行無常の対立なんかも面白いですね。

善か悪の基準は?というのは、どの視点から見ているかという話です。

例えば、「私」=「愛」だとして個人としては殺人や窃盗など(もっと小さな悪であっても)を故意にはしないでしょうが、この私の現れでもある世界では戦争はなくなりませんし生まれてから生き物を殺したことのない人間は存在しないわけです。

今流行のノン・ディアリティ(非二元)で言われる「起こることが、ただ起きている」というのに繋がっていて「仏教の空や神や宇宙レベルで物事の善悪とか本当にあるの?」という単純な疑問です。

この本の感想ですが、まず仏教ではブッダの教えを後世に伝える義務がありますので、わざわざ悟りの階梯なるものを作る必要があったと思いました。

仏教には六重罪という概念があって、預流者という最初の悟りに至ったものはこれが出来ないとされているそうです。

仏教を否定する行為が一番の重罪であるということみたいなので、ここでの善悪はあくまでも人間社会を逸脱しないということなんでしょうね。

福岡市中央区今泉の整体・鍼灸院のブログ。仕事関係より読んだ本の感想がほとんど。
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