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らくちん道への道

「日本国紀」の天皇論 (産経セレクト S 16)



内容(「BOOK」データベースより)
子供たちは歴史教科書で「天皇」を学べない!65万部突破の通史『日本国紀』の著者と編集者が、日本の歴史に浮かび上がる「天皇」について語り尽くす。小学校の教科書は「天皇」をどう教えているか。戦後初の教科書との違いが明らかに。

今週は忙しくて書店でざっと読み。

著者お二人の天皇に対する思いはよくわかるのだが、この本を読んで子供に「天皇」を説明できるのかというと微妙。

あいちトリエンナーレの昭和天皇の肖像を燃やして踏みつける動画の展示について新聞と地上波TVが触れないところを見ると、彼らからすると一般大衆の天皇陛下に対する崇敬の念がまだまだ強いと感じているということの証明で、令和は最大の皇統断絶の危機とはいえ一部の救いはある感じ。

192ページの、ウイグル人の人権運動家ラビア・カーディルさんが「あなたにとって天皇とはどういう存在か」との問いに対する有本さんの答えは、日本の国体としては当然の帰結。

とはいえ、自称「地球市民」でもある有本さんの主張でも、天皇論においては「日本絶対悪」の戦後利得者や左翼・リベラル層には理解されることはないと思う。

既に始まっている内戦にマスコミと教育を押さえられている不利な状況であり、今後無血で解決できる気はしない。







# by rakuchin-dou | 2019-10-19 22:57 | 最近読んだ本 | Trackback | Comments(0)

「合気上げ、て何か意味があるのかなあ? 無意味じゃね?」藤松先生ブログより

動物武術の虎鷹拳院日誌「やわらかい鼠蹊部と下腹部」追伸より引用

「合気上げ、て何か意味があるのかなあ? 無意味じゃね? つかんだ人が既にバランスを崩しているからね。」

あ~あ、藤松先生これ書いちゃったか(笑)。

藤松先生の武術と身体感なら、こういう印象を持つのは当然。

合気上げに限らず相手に手を掴ませる技は「小よく大を制す」を理想とする合気系武道で最初に習う理合。

人は手を前に出しただけで自分のバランスを崩している。

普通の人はバランスが崩れると本来の力が出せなくなるので、これを利用して技を掛けやすくなることを学ぶ。

また、普通の人は自分のバランスがどのくらい崩れているかの感覚が鈍いので、先生が相手に「手首を掴んできなさい」とか「顔を殴ってきなさい」とか言って、相手が攻撃をしているようで動きを誘導・制限させられた状態をつくられ、柔術だと骨格構造上の弱点を攻められ投げや極めなどの技を掛けられる。

初伝で習う手首の逆が、こちらから手を取りにいくと掛けづらいが、相手に自分の手首を握って来てもらうと掛けやすくなるのも同じ。

問題は、合気系では何故かこの理合すら教えない先生が多いばかりか「先生の技に素直に掛かる人が上達する」と躾けられる。

もう一つは基本の段階で尤もらしい理屈で“これ”が組み込まれている体系になっている流派もある。

(全部ではないが太極拳の推手を見ていても同じような印象を受ける)

結果、ド素人よりもバランスが崩れた状態で先生の技に掛かりにいって、「上手くなるのは、その後の受け身ばかり」という組織内の論理で先生の覚えめでたくなっただけで武道としては全く無意味という光景を多く見てきた。

本来は、これがわかってくると今度はいかに崩れない身体を作るかになるが、自分が安定し相手の技に対する抵抗力が強くなってもこちらも相手に技を掛けれないことを知る。

合気上げ(下げ)は、丁寧にやれば自分の正しい骨格構造を知る事と相手とのバランスを把握するのには良い練習だと思う。

合気上げと勁力はイコールではないが、保江邦夫先生の「透明な力=外力(がいりょく)」という物理学の見方でいえば、勁力も相手に対し作用する外力の一つであることは間違いない(同じにされるのは嫌がるだろうけど)。

当身や反射の技については、当身はそれ自体の威力で相手を倒せれば問題ないが、崩し目的でも相手の防御が過剰に働いて逆に安定してしまうこともあるし、様々な反射技法も次第に慣れて効かなくなる。

異論があるのを承知で言うと、個人的に拘りがあって相当研究した小手の技(朝顔など)は、先がわかれば途中の段階で一回捨てても良い気がする。

どちらにしてもバランスを崩すことで動作ができることが前提で、崩れながらも纏まっているという方法論は打・投・極に限らず基本の身体づくりの段階で内包されていなければならない。

これとは別に、“氣”の技や催眠系、脳波を変える○○モードなどの技も嘘ではないが、感応しない人には無意味なので武術としてでなく道場内での遊びしての位置づけが無難。



<追記1>
抵抗力については、私の場合は中国武術の錬功法で鍛えた。

更に技法や理論は多くのものがあり自ら体験しに行った結果、私は合気系の技に掛かることはないだろうと確信を得て実際にその通りになっていた。

(柔道やレスリング、柔術などの鍛え抜かれた熟練者の投げや極め技に掛からないという意味ではないので注意!)

しかし、今年になって既存とは全く違う合気技法があることを体験してしまったので「どうしよう?」という感じなのだが、取り敢えず井の中の蛙にならないようにはしたい。

<追記2>
反射技法については、これを主に使う流派の道場をいくつか体験してみて「先生や道場の雰囲気に躾けられたとはいえ、最終的に反応しやすい人のみが道場に残っているのでは?」という疑問がある。

某高額DVDの技法についても知人に相当数見せてもらったことがあり、確かに現象そのものは起こるので面白く一時期研究してみたが、様々な面で弱い気がしている。

<追記3>
故・佐川幸義先生にはお会いしたことはないが、自らの優しさと弱い事が絶対認められなかったと思われる武術家が一生をかけて探求した“合気”が簡単なものであるわけがない。

研究の過程で私がわかったレベルのことはとっくにわかっていたものだと思っている。

佐川先生のお弟子さんにしても、それまでの仕事を辞してまで入門した人も少なからずいて、そこまでの苦労して学んだ人が武術の秘伝を簡単に教えることはないのは当然のことである。






# by rakuchin-dou | 2019-10-14 01:52 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

ムー 2019年 11 月号 (学研プラス)



出版社からのコメント
1979年11月号から40年。
全世界、全宇宙の読者、関係者の皆様のご支援で
40周年記念号をお届けすることができました。
昔読んでいたといいう「ムー民」のみなさんも
変わらぬ怪しさの「ムー」をお楽しみ下さい。
この記念号では読者投稿ページ「ムー民広場」を拡大して
お祝いメッセージをご紹介するほか、名物(?)連載「ムー新聞」では
編集現場に携わってきたレジェンドOBや、いまやテレビやメディアで大活躍の
三上編集長の若き姿も大公開しています!

祝“「ムー」の創刊40周年記念号!”

ということで、ざっと読んでみたが・・・う~ん、次号(石原莞爾?)に期待しよう。

カラーページに出ているサイマーさんのセミナーは福岡に来た時に行ったことがある。

印象としては、スピリチュアル世界の大物外タレみたいな感じ。

間近で顔を合わせた時に目玉が金色に光っていて「この人、人間じゃない…」と感じた。

サイババさんの弟子という触れ込みだが、知り合いに実際にインドまで調査しに行った人がいて「知らない」という人ばかりだったと聞いた。

以前にやったインドから多くの坊さんを富士の麓まで連れての護摩焚きは、平和を祈ると謳っていても内容的には日本への霊的な侵略行為と見られてもしょうがない。

実際のところ裏では色々あるんだろうが、インドだったら民衆自体がこれらの人を望む風土があるので細かいことは気にしない。(でも、日本で布教するのは難しいかな?)

“ネタ”といえば、何かの本で確か飛鳥昭雄さんの話だったか、「ムー」も40年の疲れか今は単発ネタぐらいしか本当になくて困っていると書いてあったような?

そういう意味では、世界的物理学者でありながらムー民が喜びそうなトンデモネタを多数持っている保江邦夫先生に目を付けているのはわかる。

先日も、東京道場に取材に来たりライブか何かのイベントに呼ばれていたのは聞いた。

夢源樹「月刊保江邦夫」の登場も近いか?

元ネタが違うとはいえ、キーワードが被る飛鳥さんの縄張りを荒らさないのが前提。

最近では、保江先生の親しい知人だと偽って商売とかの勧誘に使われている話も複数出没しているらしく、「スピ界では良くも悪くも有名になられたんだなあ・・・」と思う。





<追記2019.10.15>







# by rakuchin-dou | 2019-10-11 21:52 | 最近読んだ本 | Trackback | Comments(0)

「空」論: 空から読み解く仏教(春秋社)



内容紹介
空の思想が仏教でどのように生まれ展開していったのか。インドのブッダから始まり、大成者の龍樹を経て、唯識思想・如来蔵思想との関係を明かし、さらにはチベット・中国・日本における受容までをも網羅した、長大な仏教の歴史も学べる入門書。


チベット密教で有名な正木晃先生の「空」についての本。

正木先生には和方鍼灸友の会のイベント後の飲み会で少し話したことがあり、面白い先生だった印象。

よく言われることだが、釈迦より始まりインド、チベット、中国、日本と伝わるうちに教えの内容が変ってしまった。

「空」についても、日本で有名な般若心経の解釈が千差万別であることや、量子論との共通点などが実は膨大な「空」の思想の極一部でしかないことなど初めて知ることもあった。

密教の成立過程を見ても時代の要請から内容を変えざるを得ないこともあり、只一つの真理というよりは個人が使う便利な道具として扱った方が良いのかもしれない。

若干余談になるが、少し前に「非二元(ノンデュアリティ)」や「悟り」が流行ったことがあり、私も興味が出て浜松の井上老師の接心に行った時に「まず、自分がどこにいたら良いのか(老師曰く、土台となるもの)」がよくわかった。

少し後になって、普段あれほど頭の中に残っていた思考や感情を持続することができなくなったのに気づき、「ああ、自分の頭が壊れたな・・・」ということがわかり、以前の状態に戻れなくなってしまった。

そういえば、若い頃に相当な修行経験がある友人が「瞑想や禅をやっていると、ある時突然頭が壊れる。壊れただけなら只のキチガイだが、仏教などの宗教には『悟り』といって、これを善用させる方法論が確立されている(要約)」と言っていたのを思い出した。

禅の修行としてはこれからのはずだし、私にとって井上老師が大変尊敬している禅の先生であるのは変わりはないが、別に禅の坊さんになるつもりもないので一旦終了。

現在も仕事の合間とかに座ることもあるが、例えば「究極の悟り」や「最高の真理」なんてものはバカバカし過ぎて興味も起きない。

本来「悟り」なんてものは具体的な定義もなく、世の中には様々な「悟り」が存在するのだろう。

どんなに凄い体験をしたとしても所詮は個人の体験に過ぎず、誰かが「自分は悟った!」と思えば「悟り」で間違いなく、これを自己完結で終わらせれば何の問題も生じない。

但し、これを皆から「悟った特別な人」だと見てもらいたいなら話は別で、一般の人から「この人は凄い!」と思われるだけの内容を語れる弁が立たなければ、上から目線の変な人として敬遠されて終わる。

こういう人が聖者としてニーズが元々ある社会以外は、「悟った特別な人」だと評価できる第三者の鑑定人やプロモーションが必要である。

先の友人の話では、表に出ない悟りマニュアルがある仏教などでは寺に閉じ込めて仏の教えを叩きこむことにより民衆から高僧として見てもらえる人物をつくるシステムを持つ。

しかし・・・偉大な釈迦の境地や個々の教えも、伝える過程で社会のニーズに応じて変えていかないと内容がいくら良くても見向きもされずに滅ぶしかないという、正に「諸行無常」を実感している。






# by rakuchin-dou | 2019-10-09 22:51 | 最近読んだ本 | Trackback | Comments(0)

福岡市中央区薬院駅近くの整体・鍼灸院のブログ。仕事関係より読んだ本の感想がほとんど。
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